自由帖

学習会「裁判官は自由か」に参加しました

 

 本日,青年法律家協会宮城支部主催の標記学習会に参加してきました。


裁判官は自由か?.JPG  今から11年前のいわゆる「寺西裁判官分限処分事件」を振り返りつつ,現在の裁判官の市民的自由について考える学習会でした。当時,かけだしの弁護士であった私もこの事件に関わらせていただいたことから,懐かしく振り返りつつ参加できました。印象に残った言葉をあげてみたいと思います。
 「そもそも社会に自由に発言できる雰囲気があるのか,あれば裁判官に社会的発言を期待する必要はない。」人々が雰囲気を読んでタブーを作ってしまう風潮への警告であろうと思います。
 「良心的兵役拒否者と良心的裁判員拒否者は違う。前者は国家が戦争を行うことそのものを否定しているが,後者は国家が刑事裁判を行うことまでは否定していないと思う。」なるほど,誰かは被告人を裁かなければならないわけで,人を裁くという意味を根本から考える必要があると思いました。
 「これから法曹を志す法科大学院生や司法修習生は,司法の役割が人権擁護にあることをよく考えてほしい。」初心を思い返して身の引き締まる思いでした。

 憲法97条の「基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって」という文言を実感を込めて感じる(自由にいられるためには獲得の努力が大切だと感じる)とともに,元気をいただいた有意義な学習会でした。
                                  そごう