自由帖

テルさんの「旅」ある暮らし: 2009年2月アーカイブ

パキスタン旅行(4)

-マリ-ビ-ル万歳-

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パキスタン行きには躊躇があった。
その最大の理由は、パキスタンはイスラム教を国教とする禁酒国であったからである。

私は40数年来、病気入院とイラン旅行をしたとき以外酒を飲まなかった日はないといった超愛飲家(アル中寸前)であるからである。
しかし、インダス文明とガンダーラ遺跡に対する興味が勝り、遂に意を決して決行と相成ったわけである。
だから、同国にもマリービールという国産ビールがあると聞いた時には、一寸力が抜けた感じであったが、すぐにほほえみに変わった。

説明では、パキスタンにもキリスト教やヒンズー教などのマイノリテイ-が居り、その人達用に造っているということであった。
その人達は申請をすれば、大人の人数割で一家に一月何本と買うことが出来るという。
また、高級ホテルでは、外国人に限りパスポートを示せば買える、但し部屋で飲まなければならないということであった。
しかし、我々は高級ホテルには泊まらなかったのでその機会はなかった。


だが、どこの国にも表があれば裏がある。

現地ガイドの努力で、ラクダで古城を巡った後の砂漠のテント内での夕食時と、1月1日午前0時の「ハッピーニューイヤー」の時に飲むことが出来た。
そこで、どのような努力で手に入れることが出来たのかと聞いたら、「買う権利があっても飲まない人や飲めない人がいる。そこがポイントだ」ということであった。

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そう言われれば、それ以上の説明は不用。
私も法律家のはしくれ、それ以上説明されては私も困る。 ただただ感謝しながら有り難く飲んだ。

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特に、砂漠での夜は、満天の星の下キャンプファイヤーも用意されていて、それによる高揚した気分とビールの酔いの余韻をかって、「この最高のシチュエーションを逃す手はない」思い、誰に求められるということもなく、「月の砂漠」を歌ってしまった。

「マリービール万歳!」だ。

パキスタン旅行(3)

-日本のトラック野郎もビックリ-

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これも車の話であるが、パキスタンに来て最初に驚いたのは、派手派手に装飾されたトラックやバスである。

現地ガイドは、デコレーション・トラックとかデコレーション・バスとか言っていて、車の前後左右にわたり、極彩色の絵や図柄で装飾されているのである。
同様にトラクタ-やリキシャも結構派手に飾られている。しかも、ほとんど例外なしにである。これはカルチャーショックといってもいい。

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現地ガイドに聞いてみたらこうであった。

60~70年前までは人や物の運搬手段はラクダやロバであったが、商売繁盛のお守りの意味でそれらを派手に着飾るという習慣があった。日本で言えば、チャグチャグ馬ごっこのような飾り付けであろうか。
その習慣が、運搬手段が動物から車に変わっても残り、また競争心理も働きますます派手になり今に続いているとのことであった。

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それに費やす費用もハンパではない。車の値段の20%から25%は懸けるという。
飾り業者の方も忙しいらしく、新車を買う2~4ヶ月前には予約を取っておかないと間に合わないと言うことであった。
日本でも一頃、トラック野郎が「男度胸の街道稼業」みたいなスローガンを書いた派手な車を走らせていたことはあったが、パキスタンのと比べたら月とスッポンくらいの差があり、「日本のトラック野郎も真っ青」といった感じだ。

高い金を懸けた愛車だけに手入れも入念で、毎日綺麗に洗っているということであった。たしかに、トラック野郎が良く利用するというドライブインでは、車を水洗いしているところをよく見た。

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ついでながら、彼らは口が肥えているということで、確かに彼らがよく利用するドライブインのレストランの料理は美味かった。

パキスタン旅行(2)

-車も人も阿吽の呼吸-

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さて、旅の話に移ろう。まずは道路と車の話から。印象的なことを列挙すると以下の通りである。
片側2車線以上の道路にもセンターラインがないのがほとんど。
大都市の中心部以外には信号がない。
ほとんどが日本車の古車か古古車。中古車は新車並みといったところ。

それらの車がそのような道路を猛スピードで追い越しごっこをしている。我々のバスも例外ではなく、先導のパトカーからがして、そこのけそこのけとばかりにサイレンを流しながら先行車を追い抜き、我がバスもそれに従っていく。

これが道幅の狭い道路だとスリル満点である。対向車の接近具合を見ながら、しかも先行車の譲り具合を考慮しながら阿吽の呼吸で抜いていくのである。
始めの頃はその度に肝を冷やしていたが、半日もすると慣れていた。感心するのは、そんな状態でありながら、11間の旅行中ひどい事故は見なかったことである。


以上は普通四輪自動車以上車の話であるが、ハイウェイを含めどこの道路でも、これに加えて三輪自動のリキシャ、バイク、トラクター、自転車、馬車,牛車、ラクダ車、ロバ車、人力車などが混在していて、町中での混雑時には、それらが流れを成して動いているのである。もちろんそれに大勢の通行人が加わる。
何しろパキスタンは人口1億600万人の国。どこに行っても人が多い。それらの人がそのような道路を、特に問題はないっていったような顔つきで横断していくのである。この阿吽の呼吸も感動ものである。交通ルールに慣れた日本人には到底まねの出来ない技である。

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ロバがあんなに活躍しているのにも驚いた。小さな体で可愛い顔をして重そうな荷物を一生懸命に引いている。特に田舎ではまだロバが中心的な運搬手段といった感じであった。
ある村で、動物の市場が開かれていたが、その中心はロバであった。少しでも高く売るためか、持ち主にバリカンできれいに刈られていた。

パキスタン旅行(1)

-危険情報-

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この正月休みを利用してパキスタンに行った。もちろん旅行社のパック旅行である。外務省の危険情報では、渡航の是非を検討しろとか延期を勧めるとかになっていたので、少しは考えたが、旅行社を信用して行くことにした。

南部のアラビヤ海に面したカラチから北部寄りの首都イスラマバードまでを、名所旧跡に立ち寄りながらバスで行く旅であった。

「危険」との関係では、その間我々のバスが終始自動小銃を持った警察官の車にエスコートされていたということが、それを思い出させるといった程度であり、それがなかったら危険を実感することはできなかったに違いない。

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なにしろ警察官自体がみなフレンドリーであり、カメラを向ければ喜んで撮らせてくれたり、迷路のようなバザールでは先に立って案内してくれたりした。また行く先々の観光地でも、バザールでも、ドライブインでもどこでも、人々は皆親切で陽気であり、むしろパキスタン人の方が我々日本人を見るのが珍しいらしく、バスを下りると取り囲まれたり握手を求められたり、一緒に写真を撮ってくれと求められたりと、危険を感じるようなことは全くなかった。
パキスタン人は旅人に親切でホスピタリテイーに富んでいる聴いていたが、むしろそれが実証されたというのが実感である。

しかし、政治的には、パキスタンが国際的にも国内的にも危険の要素を孕んでいる国であることは勿論承知しており、一旅行者である私が無責任な断定は出来ないが。