自由帖

テルさんの「旅」ある暮らし: 2009年5月アーカイブ

九塞溝・黄龍6日間(7)

本家麻婆豆腐を食す

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前日は、夜の7時に九塞溝空港を出発して成都に戻る予定だったが、悪天候のため結局飛び立たず(というより飛び立つはずの飛行機が来ず)夜中に九塞溝の村に戻ることになってしまった。

翌朝、成都に戻り当日の帰国便までの間市内見学となった。 成都も2300年の歴史を持つ古都(蜀の都)で、そのため 数多くの史跡が残っている。 その内「武候詞」と「杜甫草堂 」を見学した。

武候詞は「三国志」で名高い蜀の英雄・諸葛孔明と劉備玄徳を祀っているところで、武候とは名軍師、諸葛孔明のことである。
そこは鬱蒼とした木々の中にあり、各建物も豪壮である。
見物客もまばらでその深閑とした雰囲気の中で、まだ読みかけで終わっている「三国志」に思いを馳せた。

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「杜甫草堂」は唐代の詩聖、杜甫を記念するために建てられた草堂である。
ここは杜甫が仮小屋を建てて質素に暮らしていた所だそうだ。
生涯貧しかったという。「国破れて山河あり 城春にして草木深し」は知っている人が多いと思う。

昼食は、四川でも老舗の四川料理店に行った。
四川料理といえば麻婆豆腐が有名である。正確には陳麻婆豆腐という。
陳というあばた顔のお婆さんが作った豆腐料理という意味だそうである。
日本でもすっかりお馴染みの料理で私も良く作るが、素材が安く作り方も簡単でぴりぴりと辛く何度食べても飽きないのがいい。
さながら日本の国民食ともいうべきカレー料理に近い。

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その辛みの中心の豆板醤は今ではどこでも売っているが、もう一つの辛みの四川山椒はまだ使ったことがない。
これは、しびれるような辛さが特徴である。
私は横浜出身で、実家に帰る時は必ず中華街に行き好きな四川料理店にいくが、その本場の町の本物の店で食べた麻婆豆腐の味はやはり格別であった。

その夜は上海で泊まり、ここでは上海料理の名物、小籠包を食べたが、かむと口の中に流れ入るアツアツのスープの味はこれまた格別であった。
花より団子、見るのもいいが食べるのもいい。これだから、旅行は止められない。

九塞溝・黄龍6日間(6)

いよいよ黄龍

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目的地へはロープウェイで行った。
標高3500メートル余りの駅で降りて、名勝の「五彩池」を目指す。
徒歩約1時間。森の中の木道を歩っていくのだが、歩っているうちに再び高山病の兆候が出てきた。
そこで、ひどくならないように出来るだけゆっくり歩くようにした。 所々に眺望が開けた所があって、そこから遠望する真っ白な連山の眺めは絶景かなであった。
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約1時間後に五彩池に着いた。
池はスカイブルーに輝いていて、思わず感嘆の声を上げてしまった。
池の手前には「黄龍寺」という古い寺があったが、その寺と池とは見事なコントラストを成していて、おそらくこれは極楽浄土を模して建立されたのではないかとさえ思われた。

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黄龍も渓流に沿って連なる大小の湖沼が観光の目玉であるが、九塞溝とは違い傾斜も急で各湖沼が棚田状に連なっているのが特徴である。
しかも、地質が黄色っぽい石灰岩から出来ているため湖沼の色が独特であり、差し込む光の強弱により青色っぽくなったり黄緑色っぽくなったりと変化する。
高山病を押しても来る価値があるというものである。

五彩池からは渓谷を下りながら連なる池を見物していくのだが、一向に頭痛のほうが治らない。
何となく足下もふらついてもいる。
いよいよ携帯の酸素ボンベを試してみることにした。

筒状のビニール製のボンベの栓を抜き口に当ててみた。
しかし、酸素の出がいかにも弱い。数分もしない内に無くなってしまった。
しかも、効能は全くなし。
おそらく、そんな物を買う人はほとんどおらず、とうに消費期限切れになっていたのではないだろうか。

おそらく今は乾季なのか、各湖沼の水が少なかったり涸れていたりしていたところがあったのは残念であった。
全部に水が溢れていたら、それはそれは感動ものであったと思う。
黄龍から九塞溝空港へ戻る途中、所々に見えるチベットの民家が気になって仕方なく、ガイドに頼んだら、ガイドが交渉に行ってくれて見せてもらうことが出来た。
そこは、日本でいう長屋門もある立派な農家であった。
母屋の周りにはタルチョが翻っていた。

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おばあちゃんからお孫さんまで一家全部で迎え入れてくれて、快く写真も撮らせてくれた。
チベット騒動で世界が湧いていた最中だったが、この親切のお陰で私はすっかりチベット擁護派になってしまった。

九塞溝・黄龍6日間(5)

黄龍に向けて峠越え

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当日は黄龍見物だが、九塞溝からそこに行くには標高4000メートル以上の山越えをしなくてはならない。
時間もかかるため早朝の出発であった。
時間つぶしに車の中で現地ガイドのKさんから、個人的な話を聞きながら行った。
父親は生粋の共産主義者であり厳格な軍人であったこと、口答えなど一切許されなかったこと、しかし自分はガイドをしながら金を貯めマンションに投資をして値上がりを待っていること等々を正直に話してくれた。

途中、高山病に供えて携帯の酸素ボンベを買った。
また、同行のKさんに勧められて宝石店に立ち寄り「天珠」という宝石を買った。
昔からよくチベットの坊さんが身につけていたそうで、その石は隕石ではないかということであった。
これを付けていたお陰で飛行機墜落事故の際、その人だけ助かったとの話も聞いた。
Kさんもその高価なものを首に巻いていた。
私もそのような話を聞いては買わないわけにはいかず、私にしては「高価」なヤツを買った。

昨年、これを首に着けて日弁連野球全国大会に臨んだが、あっさりと1回戦で敗退してしまった。
この石は、厄除けには強く願い事には弱い石なのかもしれない。

標高4000メートルの峠の頂上は銀世界であった。
そこからは遠くに4500メートルを超す山々が見渡せる。
その見晴らしの良いところには、タルチョが巻き付けられたケルンのような石積があり、その脇には雪だるまが造られていた。おまけにヤクまでいる。
そのヤクに乗り、タルチョと雪だるまを近景に、山々を遠景にして写真を撮れと言わんばかりである。勿論有料で。
その誘惑に抗しがたく、妻をヤクに乗せて写真を撮り金20元を支払う羽目となった。

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車で急に標高を上げてきたせいか、その峠当たりから足下がおぼつかなくなり頭も痛み出してきた。高山病の兆候である。
しかし、そこからは黄龍登山口までは下りなので、次第に治まるだろうとそう心配はしなかった。
たしかに登山口に着いた頃には頭痛も大分治まり、昼食も美味しく食べることが出来た。

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ちなみに昼食のメニューだが、そば、大根スープ、トマトとタマゴの炒め物、ジャガイモと鶏肉の煮付け、カボチャ煮付け、豚肉とホーレンソーの炒め物、そして、ヤクとキノコの炒め物。
ヤクを食べたのは初めてだったが、牛肉のようで全く違和感なく美味かった。