私が良く利用する国道108号線鬼首道路は、宮城県鬼首と秋田県秋ノ宮を結ぶ道路で、道路沿いのブナ林が四季を通じてドライバーの目を楽しませてくれます。
ゴールデンウイークのよく晴れた日に、仙秋鬼首トンネル付近で車を降り、しばしブナ林の新緑に見とれました。
残雪もまだ散見されますが、道路沿いの色鮮やかな新緑が山頂まで駆け上るのは時間の問題でしょう。
庫山
息を呑むような景観 九塞溝
早起きをしてホテルの周囲を散歩した。
ホテル前の道路沿にはいかにもチベット風の土産物店が並んでいた。
その背後の山の斜面にはタルチョが林立している。
また、ホテルのほど近くには仏塔のようなものが建っていて、何の願を掛けてかその周りを何度も何度も回っているおばあちゃんが目に入った。
これで、ようやくいま自分がチベット地域に入っていることを実感し旅心が深まっていった。
いよいよ九塞溝見学である。
ちなみに九塞溝であるが、この景勝地には九つの古いチベット族の部落があることからその名が付いたとのことである。
その景勝地区には8時半頃に着いたが、すでに中国人観光客で賑わっていた。
ここは国民にも人気の観光地であり、また、都会では金持ちも増えてきたため、夏の盛りには一日平均25000人が訪れごった返すそうである。
奥入瀬渓流のような閑かな風景を期待していたが、その点では期待外れであった。
しかも、そのような大人数を捌くためには、遊歩道だけでは不可能で、そのため景観地区の全長5.6㎞の渓流沿いには、シャトルバスが頻繁に運行されていた。
特に名勝の湖沼の所がバス停になっていて、そこで降りては再び乗ることを繰り返しながら見学することになっている。
だから、ゆっくりと静かに景観を楽しみながらと言うことにはなかなかならない。
しかし、意識的にそのような人やバスを視界から外せば、数キロメートルにわたる渓流に沿って連なる大小の湖沼はそれぞれみんな澄んでいて美しく、世界遺産の貫禄は十分に供えていることが分かる。
その色も、エメラルドグリーン、マリンブルーなどそれぞれ湖沼毎に色合いが異なっていて、またその水面にはその周りの樹林の影が綺麗に映し出されていて、それはそれは息を呑むような美しさである。
また、所々には滝もあり、景観に変化を与えてくれている。
当日は、このような景観をバスを乗り降りしながらも十分に堪能し、出発地点に戻った時は午後の5時半を回っていた。
その夜は、ホテル近くの観光客用の劇場で、チベット民族の踊りと歌を鑑賞した。
意外と本格的で、民族の誇りも感じ取れたが、折からの騒乱問題もあり複雑な気分でもあった。
チベットの祈祷旗タルチョ
成都空港からのローカルな飛行機で九塞溝空港に降り立ったが、そこは、標高3500メートルの山を削って造られた空港であった。
4年前に開港したとのことでまだ新しかった。
ここは世界自然遺産「九塞溝」「黄龍」の玄関口に当たる。
改革解放後、中国も観光に力を入れているが、ここもその一つで、外国の観光客からも注目を集め多くが訪れるようになっていた。
しかし、前記のチベット騒動の影響で、見たところ外国人観光客は我々だけであった。
専用バスで深い山間を縫いながら、次第に標高を落としてホテルに向かった。
途中、峠や山の斜面や民家の屋根の上に、5色の旗が風に靡いている光景が印象的であった。
旗には仏教の経文が印刷されていて、それが一度風にたなびくと一度読経したことになると言う。
タルチョ(読経旗)というのだそうだ。
これで我々はチベット地域に入ったことは明らかだった。
九塞溝の村に近づくに連れて観光客用の綺麗なホテルが目立ってきた。
しかし、経営者はみな漢族の人で、チベット人はただ従業員として雇われているだけということだ。
ここだけでなくチベット自治区内では大々的な観光開発が進んでいるが、その利益はほとんど漢族に吸い上げられるだけということで、あのチベット騒動もその当たりの不満にも帰因していると言われている。
近時、中国の大国家プロジェクトとして開通した青海省西寧とチベット自治区の首都ラサを結ぶ青蔵鉄道も、チベット民族としては「文化の大虐殺のための道具」(ダライ・ラマ)と意識されていると本で読んだ(「チベット侵略鉄道 中国の野望とチベットの悲劇」)。
私もこの鉄道でラサに行ってみたいと思っているが、こういう事を知ってしまうと、単に浮かれた気分で行くことがためらわれる。どうしよう。
ホテルには夜遅くに着いた。
食後、同行のご夫妻持参の高級ワインをご馳走になった。
こういう意外性は嬉しい。
春の山菜の王様といえば、「たらの芽」です。
昔は、朝早く近くの山に入ってたらの芽を探し歩いたものです。穴場にたどり着いたら、すっかり摘み取られていてがっかりしたことも、しばしばありました。
今は自宅の庭で収穫するようになりました。
というのも、10数年前に田舎の庭に生えていたたらの木を株分けして持ち帰り、庭に植えて育てたからです。
この木の繁殖力は生半可なものではありません。地中を走る根からどんどん繁殖し、庭の植木を縫うようにあちこちから幼木が顔を出します。適当に伐采もするのですが、10年位で100本ぐらいに増えてしまいました。それに太く大きくもなりますから、繁茂した葉が太陽をさえぎり、菜園の日当たりの妨げになることもあります。夏場は葉を落とす作業にも追われることにもなります。
ただ、山で採った肉厚のたらの芽に比べると、味が少々落ちるのは否めません。それでも菜園の野菜を味わうように、居ながらにして筍の山菜を味わえるのはうれしい限りです。
今年も収穫の時期になりました。
先ずは、定番のてんぷらにして食べました。
おひたしや胡麻和え、味噌を絡めての炒め物などを、しばらく楽しめそうです。
パンダ公園見学
九塞溝空港に飛び立つ前に、成都市内にあるパンダ公園(成都パンダ繁育研究基地)を見学した。
そこには68頭のジャイアントパンダがいて、広い公園内の広い柵の中で放し飼いにされている。
昔上野動物園で見たランラン・カンカンと違い、自然公園の中でのびのびと遊び、眠り、また好物のタケノコの新芽を食べていて皆幸せそうであった。
東京上野と違い、パンダにとって四川省は我がふる里であり、それもそのはずである。
ご存じの通り、パンダは絶滅危惧種であり国によって大切に保護されており、四川省内には広大な保護区があり、そこは世界自然遺産にも登録されている。
また、パンダは中国国家のために重大な外交上の職責を担わされており、中国が大事と思う国に贈られたり貸し出されたりしている。パンダ外交である。
この間も台湾にも贈られたと聞いたが、そのパンダ大使は、責任は重さに身の引き締まる思いであろう。
日本でも、上野動物園が年間1億円の賃借料を支払ってパンダを借り受ける契約をしたことについて、賛否の意見があったことは記憶に新しい。
政治向きの話は別として、 やはりパンダは可愛い。
寝姿や歩く姿も可愛いが、あぐらをかいてタケノコをむしゃむしゃと食べる姿は本当に可愛らしく、見ていて飽きなかった。
帰国後、大地震による被害が心配であったが、我々の行った成都の公園のパンダは前頭無事だったとの報に接しほっとした。
帰国1週間後に四川大地震
昨年のゴールデンウイークに、中国四川省の景勝地「九塞溝」と「黄龍」の見物を主とするパック旅行に参加した。
チベットへの興味もあり選んだものである。
三月初め頃申し込んでいたが、そのころ申込者は10人位とのことであり、まあ適当な人数であると思っていた。
ところが、三月中旬になりチベット自治区のラサで僧や市民らによるが騒乱が発生し、それを軍や警察が有無を言わさずに武力鎮圧したため、世界中から非難の声が挙がり、北京オリンピック聖火リレーへの抗議行動が起こったことは記憶に新しい。
それに対して中国は、これは国内問題であるとしてますます厳戒態勢を敷いたため、にわかに行き先が危険地域ということになってしまい、旅行の催行が危ぶまれる事態となってしまった。
私らも少しは迷ったけれど、催行されれば行くことに決意した。
結果は、参加者が私ら夫婦ともう一組の夫婦の4人となってしまったが、幸い旅行は催行された。
考えようによっては、これは我々にとって悪いことばかりではなく有り難いことでもあった。
何しろ4人で1人のガイドを独占できるわけで、そうなれば形式は団体旅行であるが実質は個人旅行となるからである。
加えてもう一組の夫婦も仙台在住ですぐ気心も知れて親しくなり、まさに個人旅行同然の気軽な旅となったのである。
この旅行で忘れられないのは、帰国後1週間後にあの大惨事となった四川大地震が発生したことである。
一週間後の出発であれば確実にその大震災に遭っていたわけで、そうなれば命もどうなっていたか分からない。
命に別状はなかったとしても帰国が大幅に遅れたことは間違いない。
ただただ遇わなかった偶然に感謝する他はない。
3月下旬、春本番に向って気温の変化の大きい日が続いていますが、この時期はジャガイモの植え付けの季節でもあります。連休の晴れた日に作業を行いました。
石灰をまいた畑の畝にマルチシートを張り、40センチぐらいの間隔で穴を開けます(写真①)。この穴に、適当の大きさに切った種芋を植えていきます。
今年も「シンシア」と「インカのめざめ」の2種類のジャガイモを植え付けることにしました。
シンシア(写真②、③)は昨年から植えてみたのですが、なかなかの優れものです。まず、形が卵型なので皮がむきやすい。男爵やメークインなどで皮むきに難渋している向きには、おすすめです。それに、煮物、揚げ物、ポテトサラダとどんな料理もおいしくでき上がります。さらに、貯蔵性が抜群です。休眠が長いため芽が出にくいのです。昨年7月に収穫した我が家のシンシアですが、今現在でもほんのちょっとだけ芽が出ている状態です。いずれシンシアがジャガイモの代表格である男爵、メークインの座を脅かすのでは、というのが私の予想です。
②
③
インカのめざめ(写真④)は、クリのような風味が好きで、数年前から栽培を始めました。収量が少なく、芽が出やすいのが難点ですが、なぜか私をひきつけてしまったのです。
④
インカ続きで紹介しておきたい本があります。山本紀夫『ジャガイモのきた道―文明・飢饉・戦争』(岩波新書、2008年)です。このなかで著者は、「インカ帝国をささえた食糧基盤はジャガイモであったと考えてよさそうである」と述べています。この事も含めて、ジャガイモとアンデス、ヨーロッパ、ヒマラヤ、日本、アフリカとの関係、さらにはビタミンCやカリウムを豊富に含むなど、食糧資源としてジャガイモの持つ役割等について、多くの興味深い指摘がなされています。
悲しき世界遺産
今回の旅行中、4つの世界遺産を訪れた。
インダス文明の華モヘンジョ・ダロの遺跡群、 ムガル朝期の歴史的建造物群や墳墓群のタッターの文化財、ムガル朝の歴代皇帝が建造したラホール城塞とシャリマール庭園、中央アジアからの遊牧民の侵入を防ぐために造った大城塞ロート・フォート。
特に、その内で私は、ヒマラヤ山系を源流とし国土を縦断してアラビヤ海にまで至るインダス川流域に発生したインダス文明最大に遺跡モヘンジョ・ダロに期待した。
しかし、結果は「やがて悲しきパキスタン」という印象が残った。
確かにそこは、周囲4キロ四方の広大な遺跡で、同じ大きさの焼きレンガを大量に使って造られた高度に発達した古代都市で、期待どうりに驚きもし感動もした。
そして、全景を見渡す丘に発ち、往時そこに3万人もの人々が生活していたという光景を想像し、感慨にふけることも出来た。
しかし、その一つ一つを近くで見ると印象は一変する。
多くのレンガは白い粉をまかれたような状態になっていて、その白いものが塩であり、その塩害によって、レンガは劣化してもろくなり遺跡があちこちで崩壊していたのである。
なんともやりきれないといった気分となった。
モヘンジョ・ダロばかりではない。
タッターの建造物群でも、綺麗なイスラム紋様のタイルが風化によって剥がれていてもほとんどそのままである。
ラホール城塞やシャリマール庭園も、老朽化が激しく世界危機遺産に登録されているとのことである。
現地ガイドも、心から残念がり悲しがっていた。
そして、その一つの理由として、国家予算の72パーセントが軍事関連予算であることを上げていた。
特に、インドとの長い間の緊張関係の中では、為政者の目もなかなか文化財保護のほうまでは向かないし、その経済的余裕もないとのことであった。
悲しき現実、悲しき世界遺産である。
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