仙台市民オンブズマン|市民による行政の監視役
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  • パキスタン旅行(6)

    ブットー家の墓

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    12月27日、旅行第一日目は、一年前の同日にイスラム原理主義者と思われる男の自爆テロで暗殺されたベナジール・ブットー元首相の命日であった。
    そこで、見学予定のカラチの国立博物館も喪に服して閉館ということで見ることが出来なかった。

    彼女の夫が現首相のサルダーリ氏であることもあると思うが、ブットー女史の威光はまだ相当であるらしい。
    我々のバスにも、早々に故ブットー女史の顔写真が貼られ、弔意を表した。こうしておくと何かと都合がよいということであった。

    町でも田舎でも、ブットー家一家の大きな写真が貼られている場面をよく見た。
    特にモヘンジョ・ダロへの出発基地サッカルはブットー女史の郷里と言うことで、写真ばかりでなく彼女の所属政党パキスタン人民党の旗があちこちに掲げられていた。

    ブットー家はこの地方の大地主だそうで、バスで4時間走ってもまだブットー家の土地が続いていると言う説明であった。
    その反面、小作人が多く子供は学校にも行かずに小さい頃から農作業に就き、そのため識字率は50パーセントにも満たないとのことであった。

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    モヘンジョ・ダロの帰り道、ブットー家の墓に立ち寄った。墓といってもモスクにもなっている大理石造りの大きな立派な建物であった。
    中にはブットー女史を埋めた墓の上に大きな棺が置かれ、その上に赤い花びらがいっぱいまかれていた。

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    彼女の親類だという女性が棺に額を当てて泣いていた。
    我々が行ったとき、丁度地元の新聞記者が居て取材され写真も撮られた。
    記事にすると言っていたが、どうなったか分からない。

    パキスタン旅行(5)

    一寸撮らせて

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    11日間の旅行といっても、カラチからイスラマバードまでの長距離をバスで行くので、 そのほとんどの時間は移動に費やされる。
    だから必然的に、トイレタイムでの一寸した時間、食事時の小一時間が大切な観光の時間となる。
    前述もしたが、これが結構面白い。これが、地元の人と直接触れあう機会でもある。
    どこへ行ってもみんなフレンドリーであることも既に述べた。

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    イスラム圏では女性の写真撮影は原則タブー、本人が了解しても周囲の男性に止められることがあるなどと案内書に出ていた。
    そこでそう覚悟して行ったわけだが、実際にはそのような雰囲気はほとんどなく、民族服を着た綺麗な女性の写真も何枚か撮らせてもらった。
    とはいってもイスラム圏、ドライブインでも市場でも女性は圧倒的に少なかったが。

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    男達や子供らは、積極的に自分らを撮してくれと親しげに接してきた。むしろ、彼らの方が日本人が珍しいらしく、我々が写真に撮られたこともあった。

    パキスタンは対日感情が良いらしく、写真を含め旅行中不快な思いをしたことはなかった。有り難いことである。
    ついでながら、アメリカ人は快く思われていないということであった。

    パキスタン旅行(4)

    -マリ-ビ-ル万歳-

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    パキスタン行きには躊躇があった。
    その最大の理由は、パキスタンはイスラム教を国教とする禁酒国であったからである。

    私は40数年来、病気入院とイラン旅行をしたとき以外酒を飲まなかった日はないといった超愛飲家(アル中寸前)であるからである。
    しかし、インダス文明とガンダーラ遺跡に対する興味が勝り、遂に意を決して決行と相成ったわけである。
    だから、同国にもマリービールという国産ビールがあると聞いた時には、一寸力が抜けた感じであったが、すぐにほほえみに変わった。

    説明では、パキスタンにもキリスト教やヒンズー教などのマイノリテイ-が居り、その人達用に造っているということであった。
    その人達は申請をすれば、大人の人数割で一家に一月何本と買うことが出来るという。
    また、高級ホテルでは、外国人に限りパスポートを示せば買える、但し部屋で飲まなければならないということであった。
    しかし、我々は高級ホテルには泊まらなかったのでその機会はなかった。

    だが、どこの国にも表があれば裏がある。

    現地ガイドの努力で、ラクダで古城を巡った後の砂漠のテント内での夕食時と、1月1日午前0時の「ハッピーニューイヤー」の時に飲むことが出来た。
    そこで、どのような努力で手に入れることが出来たのかと聞いたら、「買う権利があっても飲まない人や飲めない人がいる。そこがポイントだ」ということであった。

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    そう言われれば、それ以上の説明は不用。
    私も法律家のはしくれ、それ以上説明されては私も困る。
    ただただ感謝しながら有り難く飲んだ。

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    特に、砂漠での夜は、満天の星の下キャンプファイヤーも用意されていて、それによる高揚した気分とビールの酔いの余韻をかって、「この最高のシチュエーションを逃す手はない」思い、誰に求められるということもなく、「月の砂漠」を歌ってしまった。

    「マリービール万歳!」だ。

    クラさんの「農」のある暮らし その12


     下の写真①、何だかわかりますか?
     

                    

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    草もち? ブ、ブー、残念でした。全然違います。実はバジルペーストをサランラップに包んで、冷凍庫で凍らせたものなのです。こうすると一年中バジルペーストを使うことができます。バジルはだいぶ前から栽培しており、ペーストにしたこともあるのですが、保存方法がわからずにおりました。ところが数年前、新聞の記事でこの方法を教えられたのです。

     

    バジルはハーブの一種ですが、多くのハーブと違って多年草ではありません。私のバジル栽培は、5月中旬頃に種をポットに蒔くことから始まります。収穫の時期をずらすために、播種は何回かに分けて行います。こうすることで、10月ぐらいまでは収穫が可能です。ポットで数センチに伸びたものを畑に植え付けます。写真②はもう少しで葉が使えそうなぐらいに成長したものです(2008年7月2日撮影)。 


                    

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    さて、先ほどのサランラップに包まれた1かけらのバジルペーストですが、これを解凍すると、1個で4人分ぐらいのスパゲティを作ることができます。

    新聞の記事から学んだペーストの作り方をご紹介しましょう。1回で使うバジルの葉は80枚ぐらい。クッキングペーパーで汚れをきれいに取った葉をミキサーにちぎって入れ、にんにくを1かけら、松の実を大さじ2杯、オリーブオイルを100cc加えて、スィッチオン。よくかき混ぜてペースト状になったらでき上がり。2つに分けてサランラップに包み、冷凍庫に保存します。

     

    一番大変なのは、朝にバジルの葉を摘む作業。我が家の庭は、夏は蚊が多くて完全武装しないとあちこちが食われて、赤く腫れ、痒いこと、痒いこと。

    でもでき上がったソースは、パスタに良し、白身の魚に良し、牡蠣やあわびに良し、またフランスパンにつけて食べるも良し。1年中いろいろ楽しめますぞ。

     

    写真③は、バジル(ジェノバ)ペーストスパゲティ。 

                    

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    パキスタン旅行(3)

    -日本のトラック野郎もビックリ-

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    これも車の話であるが、パキスタンに来て最初に驚いたのは、派手派手に装飾されたトラックやバスである。

    現地ガイドは、デコレーション・トラックとかデコレーション・バスとか言っていて、車の前後左右にわたり、極彩色の絵や図柄で装飾されているのである。
    同様にトラクタ-やリキシャも結構派手に飾られている。しかも、ほとんど例外なしにである。これはカルチャーショックといってもいい。

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    現地ガイドに聞いてみたらこうであった。

    60~70年前までは人や物の運搬手段はラクダやロバであったが、商売繁盛のお守りの意味でそれらを派手に着飾るという習慣があった。日本で言えば、チャグチャグ馬ごっこのような飾り付けであろうか。
    その習慣が、運搬手段が動物から車に変わっても残り、また競争心理も働きますます派手になり今に続いているとのことであった。

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    それに費やす費用もハンパではない。車の値段の20%から25%は懸けるという。
    飾り業者の方も忙しいらしく、新車を買う2~4ヶ月前には予約を取っておかないと間に合わないと言うことであった。
    日本でも一頃、トラック野郎が「男度胸の街道稼業」みたいなスローガンを書いた派手な車を走らせていたことはあったが、パキスタンのと比べたら月とスッポンくらいの差があり、「日本のトラック野郎も真っ青」といった感じだ。

    高い金を懸けた愛車だけに手入れも入念で、毎日綺麗に洗っているということであった。たしかに、トラック野郎が良く利用するというドライブインでは、車を水洗いしているところをよく見た。

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    ついでながら、彼らは口が肥えているということで、確かに彼らがよく利用するドライブインのレストランの料理は美味かった。

    パキスタン旅行(2)

    -車も人も阿吽の呼吸-

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    さて、旅の話に移ろう。まずは道路と車の話から。印象的なことを列挙すると以下の通りである。
    片側2車線以上の道路にもセンターラインがないのがほとんど。
    大都市の中心部以外には信号がない。
    ほとんどが日本車の古車か古古車。中古車は新車並みといったところ。

    それらの車がそのような道路を猛スピードで追い越しごっこをしている。我々のバスも例外ではなく、先導のパトカーからがして、そこのけそこのけとばかりにサイレンを流しながら先行車を追い抜き、我がバスもそれに従っていく。

    これが道幅の狭い道路だとスリル満点である。対向車の接近具合を見ながら、しかも先行車の譲り具合を考慮しながら阿吽の呼吸で抜いていくのである。
    始めの頃はその度に肝を冷やしていたが、半日もすると慣れていた。感心するのは、そんな状態でありながら、11間の旅行中ひどい事故は見なかったことである。

    以上は普通四輪自動車以上車の話であるが、ハイウェイを含めどこの道路でも、これに加えて三輪自動のリキシャ、バイク、トラクター、自転車、馬車,牛車、ラクダ車、ロバ車、人力車などが混在していて、町中での混雑時には、それらが流れを成して動いているのである。もちろんそれに大勢の通行人が加わる。
    何しろパキスタンは人口1億600万人の国。どこに行っても人が多い。それらの人がそのような道路を、特に問題はないっていったような顔つきで横断していくのである。この阿吽の呼吸も感動ものである。交通ルールに慣れた日本人には到底まねの出来ない技である。

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    ロバがあんなに活躍しているのにも驚いた。小さな体で可愛い顔をして重そうな荷物を一生懸命に引いている。特に田舎ではまだロバが中心的な運搬手段といった感じであった。
    ある村で、動物の市場が開かれていたが、その中心はロバであった。少しでも高く売るためか、持ち主にバリカンできれいに刈られていた。

    パキスタン旅行(1)

    -危険情報-

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    この正月休みを利用してパキスタンに行った。もちろん旅行社のパック旅行である。外務省の危険情報では、渡航の是非を検討しろとか延期を勧めるとかになっていたので、少しは考えたが、旅行社を信用して行くことにした。

    南部のアラビヤ海に面したカラチから北部寄りの首都イスラマバードまでを、名所旧跡に立ち寄りながらバスで行く旅であった。

    「危険」との関係では、その間我々のバスが終始自動小銃を持った警察官の車にエスコートされていたということが、それを思い出させるといった程度であり、それがなかったら危険を実感することはできなかったに違いない。

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    なにしろ警察官自体がみなフレンドリーであり、カメラを向ければ喜んで撮らせてくれたり、迷路のようなバザールでは先に立って案内してくれたりした。また行く先々の観光地でも、バザールでも、ドライブインでもどこでも、人々は皆親切で陽気であり、むしろパキスタン人の方が我々日本人を見るのが珍しいらしく、バスを下りると取り囲まれたり握手を求められたり、一緒に写真を撮ってくれと求められたりと、危険を感じるようなことは全くなかった。
    パキスタン人は旅人に親切でホスピタリテイーに富んでいる聴いていたが、むしろそれが実証されたというのが実感である。

    しかし、政治的には、パキスタンが国際的にも国内的にも危険の要素を孕んでいる国であることは勿論承知しており、一旅行者である私が無責任な断定は出来ないが。

    監査委員が随時監査実施へ!

     

     仙台市監査委員が,梅原市長のタクシー利用実態を調べるため,随時監査を行うことを決めたそうですね。新聞報道によれば,2005年8月22日(就任時)から08年12月31日までの利用分について,タクシー会社の乗務記録と梅原市長の公務日誌を照らし合わせるなどして調べるそうです。監査委員がやっとオンブズマンの申し入れを受けてくれました。ここは素直に監査委員の決定を高く評価したいと思います。
     監査委員はやろうと思えば何でも調査できる十分な権限を持っています。ぜひ権限を適切に行使して徹底した監査を行い,真相究明をしてほしいものです。
                                                                  そごう

    学習会「裁判官は自由か」に参加しました

     

     本日,青年法律家協会宮城支部主催の標記学習会に参加してきました。

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     今から11年前のいわゆる「寺西裁判官分限処分事件」を振り返りつつ,現在の裁判官の市民的自由について考える学習会でした。当時,かけだしの弁護士であった私もこの事件に関わらせていただいたことから,懐かしく振り返りつつ参加できました。印象に残った言葉をあげてみたいと思います。
     「そもそも社会に自由に発言できる雰囲気があるのか,あれば裁判官に社会的発言を期待する必要はない。」人々が雰囲気を読んでタブーを作ってしまう風潮への警告であろうと思います。
     「良心的兵役拒否者と良心的裁判員拒否者は違う。前者は国家が戦争を行うことそのものを否定しているが,後者は国家が刑事裁判を行うことまでは否定していないと思う。」なるほど,誰かは被告人を裁かなければならないわけで,人を裁くという意味を根本から考える必要があると思いました。
     「これから法曹を志す法科大学院生や司法修習生は,司法の役割が人権擁護にあることをよく考えてほしい。」初心を思い返して身の引き締まる思いでした。

     憲法97条の「基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって」という文言を実感を込めて感じる(自由にいられるためには獲得の努力が大切だと感じる)とともに,元気をいただいた有意義な学習会でした。
                                      そごう

    クラさんの「農」のある暮らし その11


     昨年12月に収穫したキウイフルーツが熟成して食べごろです。

    小粒のものをジャムにしてみました。

    ブルーベリーのジャムと同じで、作り方は全くの自己流です。結果には責任を負えませんので、悪しからず。

    半分に切ったものを(写真①)、スプーンでくり抜いて鍋に入れ(写真②)、三温糖を適量入れて、弱火で煮詰めていきます(写真③)。味見しながら、砂糖の量は調整します。白っぽく見えるのは芯の部分で、つぶしてもなかなか無くなりません。しょうがないので、スプーンで取り除きました。

    写真④が、かれこれ30分ぐらいで出来上がったものです。

    色がちょっとくすんでいます。三温糖のせいでしょうか?

    さてさてお味は?

    甘さと酸味のバランスもよく、なかなかいけるぞ(自画自賛!)。

     

                    
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