梅雨の季節の花といえば、紫陽花が定番ですが、ちょうど同じ時期に
咲く花の一つが、ざくろ(柘榴)です。
咲き始めた紫陽花の傍らにある、3メートルほどのざくろの樹に橙色の
鮮やかな花が咲き始めました。
晩秋に熟した実でつくるざくろ酒も、乙なものです。
庫山
宮城地域自治研究所景観研究会が企画した、鞆の浦等視察調査旅行が、
5月14日~16日の日程で行われました。
視察先は、瀬戸内の鞆の浦、尾道、竹原の3箇所。好天に恵まれ、
それぞれの素晴らしい景観と美味しい魚・酒を堪能してきました。
メインは鞆の浦。5月の鞆の浦は、濃い緑に覆われ、波穏やかな瀬戸内
の海では名物の鯛網漁が盛んに行われていました。
そんな中で、昨年10月1日の景観利益を認めた広島地裁判決で注目を
浴びた鞆港とその周辺を、つぶさに視察してきました。
丁度5月15日には広島県知事の仲介で、埋め立て・架橋推進派と
反対派の対話も行われました。素晴らしい景観を残しながら、
住民生活の利便性も向上するような解決策を模索して欲しいものです。
基本的には素晴らしい景観が保持されているのですが、
すでに高層建築物等によって景観破壊が進んでいるのも事実です。
その元凶は、海辺に立つホテルと公共建築物でした。
宿泊したホテルで日の出をうっとりと眺めながら、そのホテルを
山腹と洋上から観察すると、紛れもなく景観を損なう存在である
ことに愕然とする思いでした。
庫山
食べ物、飲み物
中国国内ではあるが、イスラム圏なのでアルコール類には期待せず、ビール程度が飲めれば良しとしていたが、初日の晩から葡萄酒(あえてワインとは言わず)があると聞いて驚喜した。私にとって旅行中に美味い酒が飲めるか否かは、その旅行の充実感を決める重要な要素になっているからである。しかも、最初の夜に出された葡萄酒の名は「桜蘭」であった。味も香りもまあまあ。それ以外にも数種類の銘柄があり、私は、旅行中毎晩赤一本を注文した。
食べ物は期待以上であった。シシケバブやサモサの美味さは既に述べた。ナンも今や日本でも有名であり都会では食べさせる店もある。
珍しかったには、ご飯と麺である。ご飯はポロと言って、タマネギのみじん切りを多めの油で炒めこれに羊肉、にんじん、米を入れて炊くウィグル族のピラフである。最後に干しぶどうも入れる。麺のほうはラグ麺というやつで、ゆでた手打ちの麺の上に炒めたトマト、ピーマン、白菜、羊肉をかけて食べる。何れも当地では日常的な料理であり、日本食にも近く何度食べても食傷しないのが有り難い。
その他、トマトスープで食べるウィグル族の餃子。肉はもちろん羊肉である。チュルチュレという可愛い名が付いている。
野菜も、この時期にしては意外に豊富である。バスから畑を見ていてその理由が分かった。酷寒にもにも負けないような頑丈なビニールハウスがよく目に付いたからである。
果物は、何といってもハミ瓜が美味かった。色は良くないが味は甘すぎず品がいい。
今回ももまた、良い旅が出来た。ただ一つのことを除いては。実は、いよいよ最終日、今回も無難に旅を終えることが出来ると思っていたところ、ウルムチ空港へ着くや「今北京は猛吹雪、いつ飛び立てるか分からない」と言う。その瞬間から北京空港から羽田行きの飛行機に乗るまで48時間を、飛行機内および空港内に缶詰にされていたのである。しかしそれも、過ぎてみれば良き思い出のひとこまになるであろう。
故城
桜蘭のように既に砂に埋もれてしまった故城も多いが、残っているものもある。我々はクチャでスバシ故城を、トルファンで高昌故城と交河故城を見学した。
スバシ故城に着いた時には、既に日が落ちていて程なく暗くなってしまったが、丁度その日は満月。文字どうり「荒城の月」の下に見学をしたわけだが、ここの寺院は唐代のこの地クジ国の最大の仏教寺院ということで、玄奘三蔵の「大唐西域記」にも登場すると聞いて、仏塔の上から故城全体を眺め往時を偲んだ。
高昌故城は紀元前1世紀の漢代から13世紀にモンゴル軍に滅ぼされるまでの間、新彊における政治・経済・文化の中心地の一つだったという。だから規模も大きく東西1600m、南北1500mの広さ。ここでは地元の農家の人が副業でやっているロバ車で見学した。建物は皆日乾しレンガ造りであり、それだけに崩れも激しい。玄奘三蔵が説法したという建物も見た。
交河故城も大きい都市遺跡である。遺跡は高さ約30mの断崖上の台地に造られている。 要塞都市といった故城である。見張り台、中央大通り、仏塔・寺院跡、展望台、赤ちゃんの墓、官庁街などを時間をかけて見学した。
故城から対岸を見ると、日乾しレンガ造りの風通しの良い建物が並んでいるのが見渡せる。何かと聞いたら、この中にぶどうを吊して乾燥させ干しぶどうを作るということであった。ここトルファンはぶどうの産地であり葡萄酒も造られており良好中ずっとその恩恵にあずかった。観光シーズンになると、町中の葡萄棚通りではオープンカフェが開かれ賑わうのだそうだ。だが今はオフシーズン。観光客は我々だけだ。
千仏洞
シルクロードは、仏教がインドから中国・朝鮮を渡り日本にまで伝わってきた道でもある。このシルクロード沿いに 仏教が栄えたことは、この地に千仏洞と呼ばれる仏教石窟が点在していることからも知れる。
キジル千仏洞はクチャの町からガタガタ道を通りながら2時間位走ったところにある。中国で最も早く開かれた石窟群で、規模も敦厚・莫高窟に匹敵するという大きさ。川沿いに3、2kmにわたて236もの石窟が開削されているという。そのうち6つを見学したが、仏像は全くなく壁画を中心に見た。壁画も仏画についてはその目の部分を中心に削り取られてある。しかし、色彩はまだ鮮やかに残っているものもあり、破壊される前の美しさを想像することは出来る。
この破壊は、言うまでもなく、この地がイスラム教国になってから、その根本的な教義である偶像崇拝否定を根拠として行われた。
破壊は、探検家によっても行われた。たとえばドイツの探検家スタインはこの地から多くの壁画を剥がし持ち去った。
さらに、もう一つの破壊があった。文化大革命時の宗教弾圧に基づく破壊である。仏教壁画に粘土を塗りつけ見えないようにしてしまったのである。いずれも、悩ましい問題である。
クムトラ千仏洞もキジル千仏洞と比較的近い所にある。ここも大きな川の近くにある。ここは、入り口に管理人夫婦の住む番屋があり、そこのおじさんが、見学する石窟の鍵をいちいち開けてくれた。背も腹も大きなおじさんで愛嬌も良かった。もうここで36年間住んでいると行っていた。川沿いには砂ナツメという木が橙色の実を付けていてが、おじさんはその実をもいで「食べろ」と差し出したから食べてみたが、甘っぽくはあたが砂っぽい感じもあり、美味いものではなかった。
トルファンでは、有名な火焔山の横を流れる川沿いの断崖に造られたベゼクリク千仏洞を見た。ここもドイツの調査隊によって多くの壁画が剥がされ持ち去られてしまっていた。
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